May 23, 2004

ばか親日誌 その4


ちゅうちゅうをテープで貼られている間抜けな寝顔



入院したときに2165gだったちびすけ
医師から2500gを超えたら
退院できると言われていた。

それまでの間は私がちびすけに会えるのは
日に一時間だけ
それまでいないのが当たり前だった相手なのに
少ししか一緒にいられないのが酷く寂しかった。

毎日母乳を自分の手で搾って冷凍して病院へ運ぶ
三時間おきに、夜中にも目覚ましをかけて
一人寂しく母乳をしぼるのである。

ある日病院へ行くと
なんだか雰囲気がおかしい。
看護婦さんが慌しく動いている。
「どうしたんだろうね」
母とそんなことを言いながらちびすけにミルクを飲ませていると、
「○○ちゃんがんばって!」
泣きそうな看護婦さんの叫び声が聞こえてきた。


1000gにも満たない小さな赤ちゃんの
大切な命の炎が消えた瞬間だった…

赤ちゃんのお母さんは
その日はまだ来ていなかった
彼女が亡くなったとき傍にいた肉親は
同じ日に生まれた双子の妹だけだった

私と母はいつもの一時間を過ごさずに病院を出た。
連絡を受けて駆けつけてくる赤ちゃんのお母さんの顔を
見るのが怖かったからだ

その日からちびすけが退院するまで
私は眠れなくなっていた。
怖かった
いつ電話が鳴って
「あなたのお子さんが…」
そう言われてもおかしくないのだと思ったから。

時々
ちびすけの障がいのことで凹むとき
私はその赤ちゃんとお母さんのことを思い出す

ちびすけは生きていると思う。
それ以上望むのは贅沢だと思う。
ちびすけは生きている

人は自分の持っている幸せに気づかないことがよくある。
先日ちびすけと出かけた先で見かけたお母さんもそう
多分何か悪いことをしてしかられたのであろう子供が
「お母さん大好きだから〜」と
泣きながら訴えていた。
「そんなんでごまかされない。好き好き言うな、うっとーしい」
そう答えたお母さんの肩をつかんで
おもいきり揺さぶってやりたい衝動に駆られた。

確かにその子が何かやらかしたのだろう
だからお母さんは怒り心頭に達していたのだろう

だけど彼女は知っているのだろうか
「お母さん大好き」
そう言ってもらえることが
一生叶わないかもしれない願いだと思っている母親も
いることを…

自分の持っている幸せに
敏感な人になりたい
今はまだ
ぜんぜんだけど
いつかはなりたい
m-25_67732 at 00:26│Comments(0)TrackBack(0)ばか親日誌 

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