ばか親日誌

June 27, 2004

ばか親日誌 その6


ちびすけ入浴の図

なんとも間抜けな感じではあるが
これがちびが退院してからしばらくの間続いた
入浴方法だったりする。

病院の沐浴槽ってのは二つに分かれていて
片方を上がり湯に使うようになってるんだけど
家にはそんな便利な物はありゃしない
かといってお湯の中で石鹸をつかうから
そのまま身体を拭いて洋服着せるわけにはいかない
それで考えついた苦肉の策が
バケツ風呂だった。

気持ちよさそうでしょ(笑

この入浴方法は私の姉の
「何やってんの、寒いじゃん。かわいそう」
の一言により終わりを告げたのだが
(その後は普通のお風呂に入れた)
ちびはそれを残念に思っていたに違いないと
今でも私は信じている。


この頃のちびすけは
よく泣いた
まぁ赤ん坊なんだから当たり前なんだけど
助産婦さんに
『この子夜泣きすごいから覚悟しておいてね』と言われて
ちゃんと覚悟していた私でも
「なんじゃこりゃ」
と思うほどだった

赤ん坊って疲れないの?
てな疑問が毎晩私の頭に浮かんだ。
だって泣き出すと朝までずっと泣いてるんだもん
何時間もなき続けて声が嗄れても
まだ泣いている
泣きすぎてミルクを吐く
私は頭からミルクまみれになりつつ
呆然とただちびを抱っこしている
でもって気づくと朝になっている
そんな日々が続いた。

今赤ちゃんがいて
夜泣きに泣かされているお母さん
もしだれかが
「三ヶ月すぎれば楽になる」とか
「一歳までにはおさまるよ」とか
言ってくれても信じちゃいけない
ちびすけの夜泣きは
幼稚園に入ってもつづいていたから

さすがに一晩中泣いていることはなくなったものの
毎晩必ず一度か二度は起きて
おお泣きしてました

ただ
ちびすけの場合は
睡眠時無呼吸症という原因があったから
らしいんですけどね

夜泣きする赤ちゃんに負けずに付き合うには
赤ちゃんが寝ているときに
お母さんも寝ちゃうしかないかもしれない

家事も旦那もほっといていいと思う


じゃなきゃ身が持たない

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June 22, 2004

ばか親日誌 その5



写真でちびすけが着ているのは
男の子だとわかったときに
通信販売で購入した一張羅
所謂「セレモニードレス」というやつだ

できれば現物を見て選びたかったのだけど
ずっと病院で缶詰になっていた私にはできなくて
仕方なく通販
赤ちゃん用の燕尾服なんて始めてみたけれど
とても可愛かった…服だけは

実はちびすけ
肉付きが悪かったせいもあるのか
赤ちゃんらしいほんわりしたお顔をしていなくて
ひらひらフリルが全然似合わなかった。
それで思わず私の口から漏れた呟きは…
「…すげぇ妙…」
いつもながら口の悪い私を誰も咎めなかったから
きっと母もちびの父親も同じ感想を持っていたんだろう

とにかく
生まれてから23日目の97年10月25日
ちびすけは体重2650グラムで退院した。

それまでの三週間
ちびすけは数々の検査を受けた。
お腹の中で大きくなれなかった原因を知るため
それから身体的に何か問題がないかを調べるため…

胎内での成長が遅れていたこともあって
お医者さんが一番気にしていたのは
脳のことだった
脳の形状を見るためにCTを撮って
異常がないと言われたときは
とてもほっとしたのを覚えている。

ちびが退院した日
今日からは夜中にちびが死んでしまう夢を見て
飛び起きることもないんだと、とてもうれしかった
24時間ずっと一緒にいられるんだと
本当にとてもうれしかった。


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May 23, 2004

ばか親日誌 その4


ちゅうちゅうをテープで貼られている間抜けな寝顔



入院したときに2165gだったちびすけ
医師から2500gを超えたら
退院できると言われていた。

それまでの間は私がちびすけに会えるのは
日に一時間だけ
それまでいないのが当たり前だった相手なのに
少ししか一緒にいられないのが酷く寂しかった。

毎日母乳を自分の手で搾って冷凍して病院へ運ぶ
三時間おきに、夜中にも目覚ましをかけて
一人寂しく母乳をしぼるのである。

ある日病院へ行くと
なんだか雰囲気がおかしい。
看護婦さんが慌しく動いている。
「どうしたんだろうね」
母とそんなことを言いながらちびすけにミルクを飲ませていると、
「○○ちゃんがんばって!」
泣きそうな看護婦さんの叫び声が聞こえてきた。


1000gにも満たない小さな赤ちゃんの
大切な命の炎が消えた瞬間だった…

赤ちゃんのお母さんは
その日はまだ来ていなかった
彼女が亡くなったとき傍にいた肉親は
同じ日に生まれた双子の妹だけだった

私と母はいつもの一時間を過ごさずに病院を出た。
連絡を受けて駆けつけてくる赤ちゃんのお母さんの顔を
見るのが怖かったからだ

その日からちびすけが退院するまで
私は眠れなくなっていた。
怖かった
いつ電話が鳴って
「あなたのお子さんが…」
そう言われてもおかしくないのだと思ったから。

時々
ちびすけの障がいのことで凹むとき
私はその赤ちゃんとお母さんのことを思い出す

ちびすけは生きていると思う。
それ以上望むのは贅沢だと思う。
ちびすけは生きている

人は自分の持っている幸せに気づかないことがよくある。
先日ちびすけと出かけた先で見かけたお母さんもそう
多分何か悪いことをしてしかられたのであろう子供が
「お母さん大好きだから〜」と
泣きながら訴えていた。
「そんなんでごまかされない。好き好き言うな、うっとーしい」
そう答えたお母さんの肩をつかんで
おもいきり揺さぶってやりたい衝動に駆られた。

確かにその子が何かやらかしたのだろう
だからお母さんは怒り心頭に達していたのだろう

だけど彼女は知っているのだろうか
「お母さん大好き」
そう言ってもらえることが
一生叶わないかもしれない願いだと思っている母親も
いることを…

自分の持っている幸せに
敏感な人になりたい
今はまだ
ぜんぜんだけど
いつかはなりたい
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May 21, 2004

ばか親日誌 その3



ちびすけが生まれた時の体重は2165g
2500gに満たない体重で生まれた子のことを
『低体重出生児』というのだと初めて知った。
日本の低出生体重児の頻度は男児で約6%。
ちびすけが生まれた1997年には
総出生数に対して7.9%の率で2500g未満の子供が
生まれたらしい。
ちなみにちびすけは妊娠37週で生まれているから
ちょっとばかり早産である。

生まれたときちびすけは息をしていなかった。
『仮死蘇生』
母子手帳にはそう記されている。
実は私が母子手帳を改めて見たのは
ちびすけが退院してからのことだったので
それまでは私はちびすけが仮死状態で生まれたことは
知らなかった。
というか、それを知っていたのは医師と
医師から説明を受けた私の父だけだった。
ちびすけの父親はすっかりパニくってしまっていて
医師の話は聞いていなかったらしい。
父は我が子を亡くしている母には言えなかったと
言っていた。


「産声聞きたかったなぁ」と思っていた私ではあるが
もともとちびすけは産声を上げてはいなかったのだ。


生まれてからほんの短い間とは言え
呼吸をしていなかったのだから
もしかしたらちびすけの障がいはそれが
原因なのかもしれない。
だとしたらその責任は私にはない。
そう医師も言っているし、周りの人たちもそう言ってくれる。

けれど元々どうしてちびすけが仮死状態で生まれてきたのか
それを考えると、どうしても私は
『私のせい』としか思えないのである。

『甲状腺ホルモン』が人より少ないと
自分自身が入院して検査を受けたときに言われていた。
だから赤ちゃんが大きくならないのだと

それが原因でちびすけがお腹の中でうまく育てなかったのなら
それは私の責任だ。
その上『甲状腺ホルモン』が
脳の発達にとても大切な物だということも
どこかで読んだか聞いたかしている。

やっぱり私のせいだと思わずにはいられない


そう思って自分を責めても
なんら建設的なことはない
それも知っている。
くよくよする暇などない
それも、よくわかっている

それでも私は未だ責め続けている
自分自身を
自分自身の体の不備を

私は『ダイエット』という言葉が嫌いだ。
痩せることに一生懸命になっていた時期が私にもある。
それが原因だとは決まってはいないけれど
もしかしたら私のホルモン異常の原因の一端かもしれないと思うから。
無理なダイエットは自分自身の身体をいじめることにしかならない。
そしてそれは
まだ見ぬ未来の子供を苦しめることになるかもしれない。

因果関係はないのかもしれない
あるのかもしれない

どちらにしろ私は
若かりし日の自分の『痩せたい』願望のせいで
今ぐるぐると考えこんでいるのだ。

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May 19, 2004

ばか親日誌 その2


1997年10月12日撮影

まずは御見苦しかったらすみません。
上の写真は私の人生の中で一番幸せな瞬間を
写した写真。

私が出産した病院では、帝王切開の場合
普通は10日ほど入院することになっている。
私が退院したのはちびすけ誕生から九日後の12日
その足でちびすけの入院する別の病院へ。

初めてのご対面

言葉が出なかった。
お恥ずかしいことにあまりの可愛さに
涙が出た。
泣き声も初めて聞いて、
『やっぱり産声聞きたかったなぁ』と
全身麻酔での帝王切開だったことを悔やんだことを覚えている。

この写真
今の私の目標なんである。

子供が無事に生まれてうれしくて
子供はかわいくて
先のことなんか何も心配していなかった

この子に障がいがあるなんて
考えてもいなかった

実は私、ちびすけを生む前も二ヶ月病院に缶詰になっていた。
お腹の中で赤ちゃんが全然大きくならなかったのだ。
検診に行くたびに赤ちゃんの大きさを測るのだが
それがあんまり変わらない。
そのうち「このままでは流産の恐れもある」と言われて
入院した。
不安で不安で仕方がなかった。
お腹の中で赤ちゃんが死んでしまう夢を見て
飛び起きるなんてこともあった。
悪阻も酷くて、血を吐いたりもした。(汚くてごめん)
これには驚いたんだけど、本当に血反吐を吐くってのは
あるんだと思った。

だから、妊娠中は
あんまり幸せそうには見えなかったと思う。
てなわけで、
この写真が一番幸せな瞬間を切り取ったもの…

なんの不安もなく
ただうれしいだけの瞬間

こんな顔がまたできたらいいなぁ…


そうそう
入院中に私はひとつ大失敗をしている。
それはエコーを見ていた医師が
「男の子だねぇ」と言ったとき
こともあろうか私はおお泣きをしてしまったのだ。

今思うとなんて最低なお母さんだとは思うんだけど
私はどうしても女の子が欲しかった。
名前も決めていた。風花っていうのはその名前。
「女の子がよかったのに」
そう言って泣く私に、医師は呆れ
助産婦さんは激怒し
母には殴られた。

生まれる前に性別がわかるのって
お買い物するためにはお役立ちだけど
どうしてもどっちかがいいと思ってる人には
お勧めしない。

生まれてきて、顔を見てしまえば
男だろうが女だろうが関係なく可愛いんだけど
まだ会ってないうちだと、私みたいな莫迦を
やらかさないとはかぎらないから

まぁ
そんな莫迦はあんまいないと思うけど…

今はちびが男の子でよかったと思っている。
というか
男でも女でも
ちびがちびでいてくれればそれでいい
もう一度あのときに戻ったとしても
やっぱりちびすけがいい。

ただ
私はまだそれが
「障がいを持つこともひっくるめてちびすけがいい」
とは言い切れないでいる。
それが、情けない。

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May 11, 2004

ばか親日誌 その1



平成九年十月三日


「今から切って出します」

呑気に看護婦さんに髪を洗ってもらっていた私の目の前で
怒りに震える声で担当医が言った。

「はぃ?」
と間抜けな返答を返す私。
「今から帝王切開の緊急手術ですっ!今朝そう言ったでしょう」
いいえ…聞いてませんって…
自然分娩は無理みたいだから帝王切開になりそうだ
ってのなら聞いたけど。
「えーと…今からですか?」
「旦那さんはどうしたの?署名がいるんだけど」
「いえ…さっき帰りましたけど」
担当医、ふかーいため息
「すぐに連絡とってください。」
「はぁ…」
「わかってるの?あなたの赤ちゃん死にそうになってるのよ。」
「へ?」
「お腹のなかで苦しい苦しいって言ってるわよっ」

初めて、事の重大さが私にも伝わってきた。
震える声で主人に電話をかけて、母や姉にも連絡をしてくれる
ように頼み、私自身は手術の準備をするために別室へ。

でも恥ずかしいことにこの時点では
まだ赤ちゃんの心配より生まれて初めて身体にメスが
入ることの恐怖感の方が大きかった。痛いのは嫌だ。苦手だ。やめてくれ…
手術台に上がるときも、怖くて怖くて足が震えた。
実は私の姉も帝王切開で長女を出産している。彼女の場合は
緊急ではなかったから一週間も前から手術日が決まっていた。
手術台の上に横たわりながら
(お姉ちゃん…今までになくあんたを尊敬するよ。こんなに怖い
思いを一週間も我慢してたなんて…)
えらく場違いなことを、私は考えていた。


そのうち頭の上で担当医と執刀医が話しているのが聞こえた。
「かなり心音が下がってるから」とか
「迎えの救急車が到着したみたいです」とか
赤ちゃんがかなり危ない状態だと言うことが私にも
はっきりと理解できてくる。
怖い気持ちの上に、今度は赤ちゃんを心配する気持ちも沸きあがってきて、
だんだん頭が割れるように痛くなった。
「頭痛いんですけど」
そう言うと
「これだけ血圧上がってれば、そうでしょう」
と言われた。
「麻酔かけるから、数を数えてててね」
そう言われて数えること5か6で
私はすっかり意識を手放していた。




次に考えたことは
「切るならさっさとやってくれよ」
だった。もしかしたら口に出していたかもしれない。
だけどそのときには手術も終わっていて
赤ちゃんはすでに大学病院へ転院して行った後だった。


1997年10月3日午後5時27分
ちびすけは体重2165グラムで生まれた。

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May 10, 2004

ばか親日誌?

ちびすけが生まれて六年と七ヶ月
他所のお子さんと様子が違うかな?と
思ったのは彼が九ヶ月の頃でした。

保健婦さんにもそう言われたのもその頃
それからほぼ五年
泣いたり
喚いたり
絶望したり
色々あったけど

今はなんとか
明日に希望を見出そうとしています。

パソコンを手に入れたときからずっと
いつかちびすけと歩いてきた
ほんの短い道のことを
どこかに記したいと思っていました。

せっかくブログを立ち上げたので
ここでやろうかと思っています。

はっきりいって
子供が可愛くてしかたないばか親(親ばかの進化したすがた?)の日記
みたいになると思います。
「んなこたぁ帳面に鉛筆で書いとけ」と思われるかもしれません。
が、ご容赦ください。


皆さん羊水検査って言葉を聞いたことがあるでしょうか
赤ちゃんがお腹にいるうちに
羊水を採取して染色体に異常がないかどうかを
調べたりする検査です。あまりに簡単な説明すぎるので
できれば検索してみてください。私もあまり詳しくはないので…
羊水検査のほかにも絨毛検査というのもあって
これらは出生前検診と呼ばれます。

たとえば
最初のお子さんに何かしらの『先天性疾患』がある場合
二人目のお子さんを妊娠したときに
「また何か問題があったらどうしよう」との不安から
受けるかたが多いと聞きました。

その気持ち
痛いくらいにわかります。

胎内にいるうちに検査をして異常が発見された場合
その治療を施すこともできるそうです。(病気を完治させるというより
その発症の予防のようですが)
また、子供に何か問題があるかもしれないということを
事前に知って心構えを作るためにも出生前診断は有効だとは思います。


昨年私の友人だった女性が
この羊水検査をすると言いました。
「障がいがあったら、産まない」って


「そんなことの為に羊水検査があるんじゃないよ」
とはどうしても言えなかった。
もし、ちびすけに障がいがあると最初からわかっていたら
それでも私は彼を喜んで迎えたかどうか
わからないと思ったから…
私はありのままのちびすけを
心から受け入れているのか、不安になりました。


私がちびすけとの暮らしや
歩いて来た道を書き記したいのは
だからです。

自分自身で確かめたい
ちびすけに障がいがあっても
私とちびすけが今幸せだということ

それから
これから子供を作る日が来るかもしれない方々に
障がい児と暮らす毎日の中で感じる
うれしい気持ちと
悲しい気持ち
どちらも知ってほしい

もしかしたら貴女が産む子供は障がいをもっているかもしれない
何も障がい児が生まれるのは親に何か原因があるからばかり
とはかぎらない。
子供を作って、産んで、育てるということには
かなりの覚悟がいるんだと思ってほしいから
勿論それは健常なお子さんでも同じですが…


あと一つは
私と同じ思いを抱いている方に
読んでいただけたらいいなと思っています。


障がい児を産んだことに責任を感じ
先が見えないことを不安に思い
やたらと焦っている

そんな自分が親失格だと、また悩む

そんなお母さんは自分だけじゃないんだと
思って欲しいし、
私もそう思いたい

それがばか親日誌を書こうと思った動機のようなものです。


やたらと長い前置きになりましたが
てなわけで
ちびすけままのばか親日誌
少しずつ書いていきたいと思います。


m-25_67732 at 12:12|この記事のURLComments(1)TrackBack(1)
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